水道屋の修行

投稿日: 2020/06/04 8:30:26

こんにちは、ワタクシ㈲則竹工業所の松本と申します。

今回は、水道工事店の職人修行について触れて書いてみたいと思います。

まず、ワタクシ事で恐縮ですが、この仕事を始めて約25年が経ちましたが、自分ではまだまだだと思っております。

一般の方々にとって私達の職人イメージはどんな感じなのでしょうか?。

普段どんな仕事をしてるの?

どんな修行をしてるの?…とか

そんな疑問にお答えしようと思っております。

例えば寿司職人の世界ではよく「飯炊き三年握り八年」という言葉が存在します。

建築職人の世界でも、よく3年間は見習い期間で、ある程度仕事を任せられるようになるまで10年ほど掛かると言われます。

では、そもそも人を育てるとはどう言う事でしょうか?

「職人」を育てようとする時、教える側の社長や親方は,、「会社の為に役立つ人」を育てると言うよりは…

どちらかと言うと「人の為、世の為に役立つ人」を育て、立派に一人立ちして、自分達を超えて大きく羽ばたいて行ってほしいと思ってる人が多いはずです。

言葉では言わないかもしれませんが、親が子を思う気持ちと似ています。

つまり、例え自分が居なくなったとしても、自分の力で厳しい社会を生き抜いて欲しいわけですよね。

それは、知識や技術だけの話ではなく、様々なスキルに加え、社会性や人間性にまで話は及びます。

そんな事が、様々な世界でプロフェッショナルな人を育てるのに基本的な共通意識だと私は思うのです。

さて、そこで水道屋さんではまず何をするのか?

私の経験ですが、やはり約3年間ぐらいは「手元」と言われ見習い期間となります。

主に土方作業や雑用とか、失敗が許される程度の簡易的な保温工事や、道具の使い方を覚えたり、材料の名称や用途、選定方法などを学びます。

その中でも一番キツいのは夏場の土方作業ですね…いわゆる穴掘りです。

ほとんどの人はそれがキツくて3年もせずに辞めると言います。

私も同じように1年目の夏に、私道整備における上下水道工事をやった時に、あまりにキツくて「この仕事辞めよかかなぁ」と本気で思いましたからね。

でも、私の場合…他に行くとこも、その時やりたかった事を成し遂げる勇気や覚悟や行動力も無かったので、「今出来る事を精一杯やろう」と心に決め、なんとか辞めず今日に至ります。

そんな私でも1つ言える事は…

建築職人でも他のどんな仕事でもそうだと思うのですが、「キツいものはキツい」んです。

その作業に多少慣れたって「キツいものはキツい」んです。

だけど、それが仕事です。

仕事とは、「人や社会の役に立つ為に何をするか?」…だと思うのですが、職人を育てる目的と共通しています。

その結果が謝礼や報酬であり、そしてまた自分の役に立つんです。

つまり、「経験による成長」です。

そうやって仕事に対する姿勢や向き合う考え方だって変化して行きます。

ちなみに、資格制度の話をすると専門的な高等学校を卒業している、いない、資格により受験条件も様々ですが、そのほとんどが最低3年間の実務経験が必要なのが現実だったりしますよね。

私も働きながら独学で「給水装置工事主任技術者や排水設備工事責任技術者」等の資格を取りました。

それからも色んな経験を積んでいきます。

塩ビ管のVP接合による給水や排水工事…

銅管でハンダ接合による給湯工事…

鋼管配管での旋盤ねじ込み工事…

耐火二層管での配管工事…

排水鋼管によるMD継手配管…

鋳鉄管のメカ継手よる配管工事…

ステンレス可とう管布設工事…

ラッキング保温筒での工事…

ペアチューブでの追い炊き工事…

コンクリート桝での屋外排水工事…

ビニール桝や小口径桝による工事…

土管の一部修復や鉛管の補修…

ドレン排水金具の設置…

換気スパイラルダクト施工…

液体窒素凍結工法…

樹脂管の分岐工法からヘッダー工法…

解体工事や左官工事や木工事など、様々な附帯工事…

トイレ、風呂、キッキン、洗濯場、外水道、ポンプ、給湯器など、様々な機器や器具の墨出し・取付から使用方法、維持管理など…

新築やリフォームや修繕…

木造、鉄骨、コンクリートの建築物に対する給排水設備工事や保守…

過去から現在、例を上げれば数しれず。

正直言って、これらの施工を全てマスターするには10年なんて全然足りません。

それ以外にも、積算見積もりから設計などを含めると25年なんてあっという間であり、現場によって状況や条件は様々なので、これられの経験を積んでも私なんてまだまだひよっこなのです。

終わりなんてありません。

あるはずがないのです。

だけど、もしかしたらそれはもう一昔前の話かもしれませんね…

状況にもよりますが、近年は色んな経験を得る機会が減少してる気がします。

昨今、テレワークや生産性の話をよく耳にしまが、デジタルによるITやAIなど、更なる進化を遂げていくのだろうと思っています。

その中で様々なものがシステム化される時代であり、職人さえシステム化されてるようです。

昔から設備工事も、規模が大きくなるほど分業化し、給水…給湯…排水…衛生…外構工事…など、分割して請負う事はありす。

でも最近では、土方をする職人…墨出しする職人、配管する職人…器具付けする職人…修繕専門、と、それほど工事規模が大きくなくとも分業化は進んでると感じます。

もしかすると、それはそれで効率やら生産性は良いのかもしれないが…それって人の成長にとってはどうなんだろう?

私は、なんか寂しいと思う事も少なくないのです。

生産性とか関係なく、そもそも人の成長なり経験と言うのは非効率的なものではないだろうか。

プロフェッショナルとは何か?

人を育てるとは何か?

冒頭に書いた、「職人」とは何かを考えさせられるのです。

以前、「科学技術が進歩すると人は退化する」みたいな事を聞いたり言ったりしてたことがありますが、私はこの仕事を元気に続けられる限り、少しづつでも自分を進化させて行きたいと思う次第でございます。

それが「水道屋の修行」であり、職人として生きる人生の楽しみ方の一つだと私は思います。

…って言う、、ブログでした。